尺八オンライン教室『上田流尺八道』尺八販売

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上田流尺八道

100年続く流派「上田流尺八道」

上田流尺八道は100年続く流派です。
創始以来流派にこだわる事なく、あらゆる流派と交わり、流祖芳憧の三兄弟が黄金時代を築いて尺八界の三大流にまで築き上げてまいりました。

次の100年に向けて掲げるミッションは以下2つです。
・上田流尺八道らしさである「音楽と芸術の自由」を守る
・流派の枠組みを越えて、日本の伝統文化を守り・伝えていく

2021年にYURAGI-PJTを立ち上げ、普及用木製尺八「YURAGI」の製造・販売を開始。
クラウドファンディングでも多数の方にご支援をいただきました。
今後もネット販売・オンラインレッスンプラットフォームの構築など、伝統文化とデジタル手法の融合により、流派の枠を越えて、国内外での尺八、日本文化普及拡大に向けて取り組んで参ります。

上田流尺八道 家元 田辺芳詠

尺八文化

尺八の魅力 尺八の魅力は、5つの穴から奏でられる、実に豊かで、柔らかく温かな音色です。
その音色に惹かれた人々の集いから、音色を重ねる喜び、楽しさが生まれます。
美しい音色を奏でる為には、正しい姿勢、精神の集中が必要となり、そこから品格が養われます。
次の世代へ文化伝承 尺八は、昨今の西洋文化の普及に加え高齢化と門徒の減少に、拍車がかかっています。これは、尺八だけでなく、日本の和楽器、日本文化の問題でもあります。美しい音色、人々の集い、この素晴らしい尺八文化を絶やしてはいけない。 次の世代につないでいく為に、より多くの人が尺八に触れる機会を作りたいと、尺八YURAGIの製作とオンラインレッスンを開設致しました。

上田流のあゆみ

大正6年 3月流祖上田芳憧(1892年~1974年)が音楽と芸術の自由を標榜して上田流を創立。
昭和16年 護道神碑建立物故流員を祭祀する。
昭和27年 戦争の犠牲となって廃刊となっていた『上田流々報』は上田流35周年と流祖芳憧の還暦と重なった同年1月20日に『上田流々報』第一号が復刊され昭和30年24号より「尺八道」と改題された。
昭和33年 家元上田芳憧、日本学士院から芸術アカデミー賞受賞。
昭和41年 上田流創立50周年。家元上田芳憧叙勲・勲五等双光旭日章。
昭和45年 万国博出演。上田竹童、佳道、芳誠をはじめ当流より150名参加。 上田佳道二代目家元を継承。それに伴い上田芳誠は家元輔佐に、上田芳憧は流祖となり、上田竹童は流祖輔佐となる。
昭和49年 流祖上田芳憧、12月29日午後8時25分逝去(行年82歳)。
昭和61年 流祖輔佐上田竹童、2月17日逝去(行年89歳)。 上田流創立70周年記念祝賀全国演奏大会。
平成元年 二代目家元上田佳道、文化芸術関係功労者として大阪府知事より表彰される。
平成8年 上田流創立80周年記念祝賀全国演奏大会。
平成16年 二代目家元上田佳道、逝去。 上田芳誠三代目家元を継承。
平成18年 上田流創立90周年記念祝賀全国演奏会大会。
平成20年 上田流護道神を独鈷山鏑射寺(神戸市北区)へ移転。
平成23年 上田流創立95周年記念祝賀全国演奏会大会。
平成28年 上田流創立100周年記念祝賀全国演奏会大会。

尺八について

尺八とは、竹の根の部分を利用し作られた管楽器です。
竹という天然の素材を使うことから、1本1本がすべて微妙に違ったものになってきます。

名前の由来は中国・唐の時代に標準的に使用されていた尺八の長さが一尺八寸(約54.5センチ)であったことから付いた名前だと言われています。尺八の起源をはっきりと知る文献は現在には存在していません。
数千年の昔、中央アジアに竹や蘆に穴を開けた笛の類があり、その後インドに渡り仏教の布教と共に中国に入り雅楽や仏教の法器として用いられ、仏教の伝来と共にわが国へ渡来してきました。奈良の正倉院には尺八の数管が保存されています。

江戸時代には虚無僧が托鉢に用いる以外は禁止されていましたが、明治4年10月普化宗の廃止により、尺八は一般に誰でも使用が許可され楽器として流行するようになりました。
その後、箏や三絃と合奏するようになり、今日の隆盛を見るまでに至りました。